マルク・シャガールといえば、幻想的かつカラフルな作品を思い浮かべる方も多いでしょう。
色彩の魔術師ともいわれる彼の絵にはさまざまな特徴があります。
今回は、マルク・シャガールの絵の特徴を解説するとともに、代表作品を紹介します。
1.マルク・シャガールとは
マルク・シャガールは、1887年にロシア領だったベラルーシのヴィテブスクにて生まれました。
ヴィテブスクは村の半分をユダヤ人が占めるエリアであり、ユダヤ教正統派から外れたカバラ教義を重んじる「ハシディズム」の中心地だったことから、ユダヤ系の家庭に生まれたシャガールの作品からもその影響が感じられます。
19歳の頃から地元で絵画を学び始めたシャガールですが、教育指針がマッチしなかったため、サンクトペテルブルクにある美術学校に入学しました。
在学中に、ゴーギャンをはじめとする先進的なフランスのアートを知り、1910年にはパリへと旅立ちます。
当時のパリは、ピカソやジョルジュ・ブラックらによって生み出された「キュビズム」という美術表現が盛んであり、ゴーギャンもパリで活躍する画家や詩人たちと交流を図りました。
キュビズムに加えて、シュルレアリスムや象徴主義など多岐にわたる表現方法を学んだシャガールですが、自身が大切にしていたストーリー性のある具象画を描き続け、徐々に注目を集めるようになります。
1915年には最愛の妻ベラ・ローゼンフェルトと結婚し、その前年にはドイツで初個展を開催するなど充実した日々を送っていました。
しかし、第一次世界大戦の勃発とともに、シャガール一家もベルリンへの亡命を余儀なくされます。
加えて、ナチスによるユダヤ人迫害が始まったことから、1941年にはアメリカへと亡命しました。
とはいえ、すでに世界的に有名な画家となっていたシャガールは、1945年にニューヨーク近代美術館で回顧展を実施します。
この展示は大変な成功を納めましたが、第二次世界大戦中に妻を失ったショックから、しばらくの間制作を停止しました。
再婚をして人生をリスタートさせたのちも、最愛の妻だったベラの絵を描き続けたといいます。
晩年は、絵画だけでなく彫刻やステンドグラスなど幅広く制作活動を行い、モダニスト最後の巨匠として1985年に97歳という大往生で人生の幕を閉じました。
2.マルク・シャガールが描く絵の特徴
マルク・シャガールの絵は、一目で彼の作品だとわかるほどの雰囲気があります。
その理由として挙げられるのが、以下の3つの特徴です。
それぞれの特徴について解説します。
2-1.色彩の魔術師
マルク・シャガールは「色彩の魔術師」と呼ばれるほど、色を巧みに活用する画家でした。
使用する画材は、油彩やパステル、水彩など多岐にわたり、それぞれの質感を生かしながら独特の作風を生み出していました。
かの有名なピカソも、シャガールが持つ類稀なる色に関する感性を高く評価しています。
シャガールが表現する色の中でも、多くの人の心を掴んでいるのが「青」です。
「シャガール・ブルー」といわれ、この色をベースに描かれる作品はひときわ高額で取引されています。
2-2.愛を描く画家
マルク・シャガールの作品には「愛」が描かれているといわれています。
例えば、抱き合う恋人たちや花嫁からは、愛する人への想いが感じられるでしょう。
また、故郷に対する愛情は素朴な街並みの絵として表現されています。
このように、シャガールは恋人や妻に対する愛情だけでなく、家族や幼少期に過ごした場所への想い、宗教的な観点から見た愛、そして普遍的な愛に至るまで、さまざまな「愛」を作品を通して表現し続けました。
シャガールの絵を見ると幸せな気持ちになるという人が多いのは、こうした想いが伝わるからではないでしょうか。
2-3.ユダヤ文化を基盤とした作品
マルク・シャガールは、ユダヤ文化が花開いた時代に生まれました。
現在でもユダヤの文化や伝統が残る地域であり、当時のシャガールにとって大きな影響を与えたことはいうまでもありません。
シャガールの作品には、彼自身がユダヤ人であることのアイデンティティが色濃く表現されています。
例えば、シャガールの作品に多く登場するヤギと人間のモチーフは、ユダヤ文化の物語が反映されたものです。
事実、シャガール自身は「私がユダヤ人でなかったら芸術家にはならなかっただろう」という言葉を残しています。
ユダヤ系の芸術家は数多くいますが、その中でもシャガールは新たなモダニズムを完成させた代表的な人物です。
3.マルク・シャガールの代表作
マルク・シャガールは、97歳で亡くなるまで著名な画家としてさまざまな作品を制作しました。
その中から、代表的な3作品を紹介します。
3-1.私と村
シャガールがパリに移住したのちの、1911年に描かれた油彩作品です。
まるで、おとぎ話のようなストーリー性のある農村がモチーフになっており、生まれ育った村の記憶がパリで習得したキュビズムの技法を用いて表現されています。
ヤギと人間が描かれている点から、ユダヤ文化が色濃く現れている作品といえるでしょう。
また、男性が持っている木は、ユダヤ教において天地創造を表す「生命の樹」を象徴しているといわれています。
この作品で目を引く幾何学模様は、シャガールが幼少期より好んでいた要素です。
シャガールの作品には、三角や四角、直線といった模様が多く取り入れられています。
現在、「私と村」はニューヨーク近代美術館に所蔵されています。
3-2.誕生日
シャガール本人と最愛の妻ベラ・ローゼンフェルドが描かれた作品です。
彼らが結婚する数週間ほど前に完成したといわれています。
黒いドレスを身にまとったベラの後方から、首を伸ばしたシャガールが強引にキスをする絵で、どこか結婚を前に浮き足立った印象を受ける人も多いでしょう。
しかし、鮮やかに描かれたベラの顔とは対照的に、シャガールの顔は少し暗く描かれています。
実は、シャガールの両親は、ベラとの結婚に反対していました。
ベラが貧しい家庭の娘だったため、将来を心配したことが反対の理由でした。
なんとか結婚の許しを得たものの、本来結婚するはずだった1914年に第一次世界大戦が勃発します。
この戦争により国境が封鎖され、ドイツに暮らしていたシャガールはロシアにいるベラの元に帰れなくなりました。
こうした二人を取り巻く情勢が「誕生日」という作品に反映されているように感じられます。
こちらの作品も、ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。
3-3.青いサーカス
色の魔術師と呼ばれたシャガールだからこそ表現できたとされる「シャガールブルー」で描かれた作品のひとつが「青いサーカス」です。
フランスで活躍していた時代、ピカソのパトロンだった画商ヴォラールから、サーカスをモチーフにした版画集の制作を依頼されました。
ヴォラールは非常にサーカスが好きで、シャガールに描いてもらうために幾度となくサーカスに招待したといいます。
また、シャガール自身も幼少期にサーカスの世界に魅了されていたようです。
しかし、シャガールは以下のようにサーカスのことを表現しています。
「サーカスはもっとも悲しいドラマだと私には思われる。何世紀にもわたって、それは人々の娯楽や喜びを探し求めた者の、このうえもない鋭い叫びであった」
ユダヤ人として生まれ、数奇な運命を辿ったシャガールにとって、サーカスは夢物語ではなく、現実そのものを投影していたのかもしれません。
「青いサーカス」は、ポンピドゥー芸術文化センター内にある「国立近代美術館」に所蔵されています。
4.まとめ
今回は、色の魔術師として知られるマルク・シャガールを紹介しました。
長い人生の中で、ユダヤ人の迫害や最愛の妻との結婚、そして死別、芸術の都パリでの出会いなどさまざまな体験をしてきたシャガールだからこそ描けるストーリー性のある作品たち。
いずれの作品からもシャガールの個性を存分に感じられることから、彼の作風が確立されていたことがうかがえます。
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