個性的なヘアースタイルや猫をモチーフにした作品で有名な藤田嗣治。
本人の肖像写真は見たことがあるけれど、作品の特徴や代表作を知らないという方は多いのではないでしょうか。
今回は、藤田嗣治とはどんな画家か詳しく解説します。
1.藤田嗣治とは
藤田嗣治は、1886年に東京都で生まれました。
裕福な医者の家庭に育ち、幼い頃から絵に親しんできたといいます。
早々にその才能を見出された藤田は、1990年に開かれたパリ万国博覧会に日本人の中学生を代表して選ばれました。
わずか14才にして世界の舞台へと作品を出展したこともあり、フランスへの留学をイメージするようになります。
1905年には、現在の東京藝術大学美術学部の前身である東京美術大学の西洋画科に入学。
その後、14才の頃から抱いていた夢を叶え、1913年に父のサポートを受けて単身パリに旅立ちました。
折しも、パリで活躍する画家を表す「エコール・ド・パリ」が始まった時期であり、ピカソやマティスなどが描く自由奔放で前衛的なアートに影響を受けた藤田は、これまで描いてきた印象派に沿った作風を放棄することになります。
パリで徐々に頭角を現し始めた1922年には、第14回サロン・ドートンヌに「寝室の裸婦キキ」を出展。
当時のアートファンたちを魅了し、フランスで押しも押されぬ人気となりました。
第二次世界大戦が始まると、日本に帰国し戦争記録画家として活動しますが、1949年には再び日本を出て、1950年にパリへ移住します。
1955年にはフランスに帰化し他の地、カトリックの洗礼を受けた藤田嗣治は、「レオナール・フジタ」と名乗るようになりました。
1968年、藤田嗣治はスイスにてその生涯を閉じ、「フジタ礼拝堂」に埋葬されています。
2.藤田嗣治の作品の特徴
藤田嗣治といえば、その特徴的な作風に魅了されているという方も多いでしょう。
主な特徴として以下の4点を解説します。
2-1.日本画の技術と油彩画
藤田嗣治の作品に見られる特徴は、日本画で使われる技法を油彩画に用いた点です。
日本画で多く使われる墨と日本画に使う面相筆を用いて、油彩画を描きました。
主に、裸婦の輪郭を描く際に活用されています。
その結果、藤田嗣治にしか表現できない世界観を確立しました。
2-2.乳白色
まるで陶器をイメージさせるような乳白色も、藤田嗣治の作品が持つ大きな特徴です。
オリジナリティのある質感は、藤田嗣治にしか出せない色合いだといわれています。
実際、この乳白色は藤田が苦労して作り上げた配合であり、誰にもレシピを伝えることなくひた隠しにしていました。
人々を魅了する色合いに、現代のアート界でも注目が集まっており、彼の絵画が修復された折には、下地に用いられた画材が調査されています。
2-3.猫と女性
藤田嗣治の作品に数多く登場するモチーフが、猫と女性です。
肖像写真を見てもわかるように、藤田嗣治は猫を非常に可愛がっていました。
猫は、藤田嗣治を表すサインでもあり、自分の分身と考えていたようです。
また、彼のアトリエには、多くの女性が訪れていたことから、最大の特徴でもある乳白色を活かすために、裸婦を描いたと言われています。
2-4.戦争記録絵
第二次世界大戦が始まった頃、日本に帰国することを余儀なくされた藤田嗣治は、戦争記録絵を描くようになります。
従軍画家として活躍し、シンガポールをはじめとする南方に派遣されることもありました。
しかし、終戦を迎えた1945年になると、戦争がを描いたことが要因で、戦争に協力した画家として非難されます。
こうした状況もあり、再び日本を離れ、パリに永住することになるのです。
3.藤田嗣治の代表作
藤田嗣治は、多数の作品を残しています。
人気のある作品の中から、3つの代表作を紹介します。
3-1.猫のいる自画像
猫を愛した藤田嗣治ならではの作品といえるのが、こちらの「猫のいる自画像」です。
彼を象徴するヘアスタイルと丸メガネ、そしてちょび髭が印象的な作品であり、その傍らには猫が藤田を上目遣いに眺めています。
この作品は、藤田嗣治が自分自身をブランディングするために描いたといわれており、自分をアイコンとして活用したアーティストは彼が先駆けです。
その後、有名な画家アンディ・ウォーホルやサルバドール・ダリも自分をアイコン化し、ブランディングに役立てていました。
3-2.寝室の裸婦キキ
藤田嗣治のアトリエには多くの女性が出入りしていました。
「寝室の裸婦キキ」のモチーフとなったキキもその一人でした。
キキは、芸術家マン・レイの恋人であり、藤田に限らず様々なアーティストのモデルをしていたといいます。
そんな彼女が脚光を浴びるきっかけとなったのが、この作品でした。
藤田の代名詞である乳白色が存分に生かされ、彼自身もこの作品によってパリで注目を浴びるようになりました。
3-3.アッツ島玉砕
戦争記録画を描いていた時代の作品が「アッツ島玉砕」です。
陸海軍に依頼されて、1943年に描かれました。
アメリカ・アラスカ州のアリューシャン列島にあるアッツ島で、1943年5月に守護隊た全滅した様子を、写真とイメージを合わせて描いたといわれています。
この作品が、藤田が得意とする「群像表現」の完成形となりました。
4.藤田嗣治の作品が見られる場所
4-1.軽井沢安東美術館
軽井沢安東美術館は、2022年にオープンしたばかりの新しい施設です。
藤田嗣治の作品をこよなく愛する夫婦が運営しており、展示されている作品も藤田のものだけになっています。
個人美術館でありながら、充実した作品が展示されており、早速アートファンたちの注目を集めている美術館といえるでしょう。
また、藤田が愛した猫の作品も多く、アートファンのみならず、猫好きの方にもおすすめです。
4-2.ポーラ美術館
藤田嗣治は、生涯にわたり5人の女性と結婚しています。
最後の妻となったのが君代夫人です。
結婚した当時、藤田は50才、君代夫人は25才と年の離れた夫婦でしたが、これまでフランス人と過ごしてきた藤田にとって、日本の女性は癒しを与えました。
藤田が1968年に81才でその生涯を閉じるまで、君代夫人との結婚生活は続いています。
君代夫人も、2009年に98才で亡くなりました。
ポーラ美術館には、そんな君代夫人が所有していた藤田嗣治の作品が数多く寄贈されています。
実に、215点もの作品が保管されており、フジタ・コレクションとしては日本最大級です。
ポーラ美術館では、藤田嗣治が描く作品の特徴を踏まえて、さまざまな企画展を開いています。
藤田嗣治の世界を詳しく知りたい方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
5.まとめ
今回は、猫を愛した画家「藤田嗣治」について詳しく解説しました。
藤田にしか出せない乳白色や日本画と油彩画を合わせた独特の技法は、今でも多くのアートファンを魅了しています。
今回ご紹介した美術館の他にも、彼の終の住処となったアトリエは、現在もそのまま保存されており、見学が可能です。
藤田嗣治の作品はもちろん、彼の人生に心惹かれる方は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。
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