アート作品には、今も昔も贋作に関する問題がつきものです。
知識が乏しいと、気がつかないうちに贋作を手にする可能性も少なくありません。
今回は、贋作について解説するとともに、模写との違いや有名な贋作事件、贋作作家についても紹介します。
1.贋作(がんさく)とは
贋作とは、アート界において他人を騙すことを前提として作られる模倣品を意味します。
例えば、本物と酷似した作品を作りコレクターに売りつけることを目的とした作品は贋作です。
つまり、悪意を持って作られた作品であり、詐欺行為に当たります。
2.贋作と模写の違い
贋作と似たような作品として、「模写」や「レプリカ」が挙げられます。
模写は「写し」とも呼ばれ、原作を手本にして作られた作品です。
原作に似せて作る点は贋作と同じですが、その心が全く異なります。
贋作が人を騙すことを前提として作られるのに対し、模写は自分の技術を上げるため、もしくは原作をリスペクトする気持ちを表すために作られる点が大きな違いです。
そのため、基本的に模写を本物と偽って販売することはありません。
一方、レプリカは「複製品」とも呼ばれ、オリジナル作品を元に原作者や権限を持った制作工房が作ったものを意味します。
つまり、原作とほぼ一致していることと作り手が贋作と大きく異なるポイントです。
3.有名な贋作事件「フェルメール事件」
昔から後を絶たない贋作ですが、中でも有名な出来事が「フェルメール事件」です。
フェルメールは、17世紀を代表するオランダの画家であり、現在も大変な人気があります。
1990年代に、フェルメールの贋作「エオマの食事」を描いた画家がいました。
奇しくもフェルメールと同じくオランダで生まれた画家メーヘレンです。
不遇な半生を送り貧しかったメーヘレンは、長い年月をかけて「エオマの食事」を描き上げます。
批評家たちは、この贋作をフェルメールの真作だと思い込み、メーヘレンはまんまと騙すことに成功しました。
メーヘレンは、「エオマの食事」をフェルメールの作品として売り大金を得たことをきっかけに、ますます贋作づくりに勤しみます。
しかし、フェルメールの贋作「姦通の女」がナチスの手に渡ったことで、メーヘレンは自分が作者であることを白状しました。
ところが、裁判官たちはメーヘレンの自白をまともに受け止めませんでした。
それどころか、売れない画家であるメーヘレンが大金を得ていることについて、売国行為をしていたからではないかという疑いをかけます。
国家反逆罪の言い逃れとして贋作を自白したのだろうと言われ、マスコミからもバッシングを受けました。
そこで、メーヘレンは目の前でフェルメールを描き贋作であることを証明すると言いだします。
当然、拘置所内での作画は前代未聞の出来事であり、多くの人の注目を集めました。
そしてできあがったのが、フェルメールの作風に酷似したメーヘレンの新作です。
結果的にメーヘレンは、禁固一年という軽い刑のみで、むしろナチスを騙した愛国者と言われました。
メーヘレンは、1947年に心臓発作で亡くなりますが、生きていれば人気画家になったことでしょう。
3-1.日本で起きた贋作事件
日本で起きた贋作事件として有名な出来事は、国立西洋美術館で起こりました。
1965年、国立西洋美術館にフランスの画商フェルナン・ルグロが売り込みのために訪れます。
美術業界では、ルグロが売るアート作品には贋作が紛れているのではないかと噂になっていました。
しかし、国立西洋美術館は、専門家の鑑定書がついていた2つの作品をルグロから購入します。
また、当時たまたま日本を訪れていたフランスの文化大臣アンドレ・マルローが絶賛したことや、画家ドランの未亡人が太鼓判を押したことも購入の後押しになったようです。
しかし、ルグロは甘い鑑定をする専門家を味方につけており、多数の贋作を売っていました。
こうしたルグロの悪事は、仲間同士のいざこざや訴訟騒ぎで公になり、ついには国際指名手配犯になります。
当然、国立西洋美術館が購入した2作品にも贋作疑惑が持ち上がりました。
その結果、国立西洋美術館と文化庁は、これらの作品が真作であることは疑わしいとし、今後一切展示はしないと発表しています。
このように、贋作は専門家であっても騙されてしまうものであり、真偽の判定が難しいことがわかるでしょう。
4.有名な3人の贋作家
最後に、贋作家を3名紹介します。
4-1.ハン・ファン・メーヘレン
前述の「フェルメール事件」でも触れたハン・ファン・メーヘレンです。
20世紀でもっとも巧みに贋作を描き上げた画家として広く知られています。
幼少期より画家への憧れがあり、そのスキルは非常に高いものでした。
しかし、彼の作風と時代とがマッチせず、なかなか陽の目を見ることができずにいました。
苦しい生活の中でフェルメールの贋作を描くことを思いつき、結果的に贋作者として成功を収めます。
その徹底した制作方法は、多くの人を騙すのに十分なものでした。
しかし、彼の贋作人生は、ナチスにフェルメールの作品を売った罪から終焉を迎えます。
国家反逆罪の罪を問われたため、自分が贋作を描いたことを自白しました。
最終的には、拘置所の中でフェルメールの贋作を書き、大衆にその事実を知らしめることになったのです。
4-2.マーク・ランディス
マーク・ランディスは、映画「美術館を手玉に取った男」のモデルになった人物です。
彼は、30年にも渡り自らが描いた名画の贋作を神父や資産家を偽って美術館に寄贈していました。
彼が贋作を書き始めたのは、統合失調症と診断され、治療の一環でアートセラピーを受けたことがきっかけでした。
彼の作品は実に精巧で、ピカソからディズニー作品まで多岐に渡りました。
全く違う作風でありながら、それぞれにコピーしたような仕上がりで、販売すれば大金を手に入れただろうと言われています。
彼の作品が贋作だと気づかれたのは、2008年のことです。
オクラホマシティ美術館の情報管理担当だったマシュー・レイニンガーが贋作であることを見抜きました。
多くのマスコミがこの出来事を取り上げましたが、彼はお金のために贋作を作ったわけではないため罪には問われませんでした。
レイニンガーは贋作をやめるように伝えますが、それを無視して贋作を描き、慈善活動を続けました。
次第にレイニンガーはランディスの作品に惹かれ、レイニンガーの元同僚であるアーロン・コーワンのアイディアによりランディスの個展を開くことになります。
このように、世界一善意ある贋作家として有名になったランディスですが、現在は贋作ではなく絵を盗まれた人のために作品を制作しているそうです。
4-3.ジャン・ジャコモ・カプロッティ
ジャン・ジャコモ・カプロッティは、イタリアの芸術家でルネサンスの時代に生まれました。
レオナル・ド・ダヴィンチが大変気に入っていた弟子としても知られています。
しかし、盗作をする癖があり「サライ(小悪魔)」というあだ名をつけられていました。
ダヴィンチの作品も贋作として描いていますが、残念ながら画家としてのスキルは低く、到底及ばない仕上がりとなっています。
5.まとめ
今回は、贋作について詳しく解説しました。
贋作は昔からアート業界を悩ませる存在であり、専門家ですら騙される作品が多々あります。
悪意のある作品とはいえ、非常にスキルの高い贋作家が存在することは事実です。
アートを売買する立場からすれば迷惑な存在といえるでしょう。
しかし、贋作が生まれる背景には、貧しい暮らしや精神的な闇が隠れていることも少なくありません。
ストーリーのある作品という観点から見ると、贋作も興味深い作品です。
また、贋作の元となった作品は、それだけ注目を集める作品ということにもなります。
贋作を知ることで、真作の魅力に気付く方も多いでしょう。