唯一無二の抽象画で知られる、白髪一雄(しらがかずお)。
時代を超えて現代のアートにも影響を与え続け、「フットペインティング」の技法で知られる数々の作品は、海外にも広く知られています。
ダイナミックで勢いのある白髪の作品は、一度見たら忘れられず、彼について気になっている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、白髪一雄の来歴や代表作品について、作品の解説も交えながら紹介しています。
また、実際に白髪一雄の作品を見てみたい方に向けて情報も記載しているので、ぜひ最後までチェックしてみてくださいね。
1.白髪一雄(しらがかずお)とは
白髪一雄(しらがかずお)は力強い絵の具の重なりや痕跡、躍動感のある作品で知られる画家です。
日本の美術を知るうえで、重要なアーティストの一人で、抽象芸術においても、新しい可能性を提示した芸術家です。
白髪一雄は1924年(大正13年)に兵庫県尼崎市西本町に生まれました。
呉服屋を営んでいた彼の父親が趣味で絵画を制作していたため、白髪一雄は父親の影響を受け、幼少期の頃から絵を描いてましたが、その後に学んだのは日本画でした。
その後、油絵に転向する白髪ですが、”既存の絵画の枠を破りたい“という思いを強く持つようになります。
この荒々しい絵は、天井からロープを吊るして床にキャンバスを広げて裸足で絵を描くという驚きの方法「フットペインティング」で描かれたもの。
筆などと違って、思うように何かを描けないこの方法を考えだし、次々に作品を発表し、当時の芸術家たちにも非常に強いインパクトを与えました。
2.白髪一雄の来歴
この章では白髪一雄の来歴を紹介します。
- 0会を結成
- フットペインティングの制作を開始
- 具体美術協会に参加
- 天台宗の僧侶になる
時系列で彼の活動を解説していきますので、ご参考ください。
2-1.0会を結成
1952(昭和27)年、白髪一雄は同じ美術研究所で学んだ仲間である現代美術家の金山明、村上三郎らと共に「0会」を結成します。
「0会」ゼロ会、なにやら少し秘密めいた名前ですが、作品を持ち寄って批評し合うのが主な活動内容でした。
グループとしての活動は、1954年に(昭和29)年に大阪そごう百貨店のショーウィンドーで行われた、0会展のみです。
また、同年には吉原治良、須田剋太、山崎隆夫、中村真、植木茂、田中健三によって結成された「現代美術懇談会」にも参加します。
2-2.フットペインティングの制作を開始
「0会」には15名ほどのメンバーが在籍していましたが、白髪は数々の同世代の若手メンバーを触発する存在でした。この展覧会で、白髪一雄は足で描く「フットペインティング」最初の作品である《作品II》を出品します。
初めの頃は日本画を専攻していた白髪は、油絵に転向してから風景などを描いていました。しかし、しだいに既存の絵画の枠を破って表現をしたいと考えた結果、この「フットペインティング」が生み出されたのです。
2-3.具体美術協会に参加
大阪をはじめとする関西地域では50年前後より、「0会」のような若手作家の組織する活動団体が活発化し、積極的な制作、発表活動が行なわれていました。
そうした状況のなか、以降重要な活動を行なう「具体美術協会」が1954(昭和29)年に結成され、1955(昭和30)年に白髪一雄は「0会」の仲間とともに「具体美術協会」に参加します。
「具体美術協会」とは、抽象画家で実業家でもあった吉原治良をリーダーとした若手美術活動家が集う集まりでした。白髪ら「0会」メンバーの参入により活動が活発化し、旧「0会」メンバーは同協会の中心的な作家として活動しました。
2-4.天台宗の僧侶になる
白髪一雄は、制作スタイルが定まってきた1960年代、自身の内面を精神的に成長させたいと考え始めます。
さらなる向上を目指すため、白髪が関心を持ったのは密教でした。
そして、1971(昭和46)年には密教への関心が高まり比叡山延暦寺で得度(出家)し、天台宗の僧侶となります。
さらに翌年、吉原治良の死去をきっかけに具体美術協会が解散し、この頃から白髪一雄の作品から感じられるものや、制作スタイルが変化していったのです。
作品からは、密教から得た濃密な精神性と力が立ち上り、制作スタイルはこれまでの素足で描くものからスキージという長いヘラを用いて描くスタイルに変化しました。
3.白髪一雄の作品の特徴
白髪一雄の作品の特徴は、ご紹介した「フットペインティング」にみられるような、ほかに類を見ない独自の方法で描かれているということです。
油絵という技法における、絵の具の粘性や流動していく特性を最大限に発揮し、自身の足で描いた線によって、その質感をリアルに掘り起こしています。
自身の身体を多方向に動かして描いていくため、作品も必然的に大きいサイズになることが多く、白髪の作品を目の前にしたときには、身体の解放や圧倒的な生命力などを体感できるのです。
白髪が活躍した時代に、ヨーロッパで盛んになった美術運動-型にはまった表現を否定し、生命の躍動を激しい表現行為に託す-「アンフォルメル」にも参加しました。
4.白髪一雄の代表作3選
白髪一雄の代表作を3作品、見ていきましょう。
4-1.『陽華公主』
代表作品の1つ目としてご紹介するのは、「陽華公主」です。
緑の混じった青や、真っ青な色、澄んだような青など、さまざまな青色が入り混じる中に、三筋の朱赤、黄、白が中心でぶつかり合っています。
何かを取り囲んでいるようにも、折り重なっているようにも見えますが…勢いをつけるだけでなく、ギュッと留めているようなところもあり、白髪の身体性が明快に分かる秀逸な作品です。
4-2.『臙脂』
2作目としてご紹介するのは、「臙脂」(えんじ)です。エンジ色、と聞けば思い浮かびますが、この作品には重々しく力強い感じのタイトルがぴったりですね。
赤色が重なり合って黒々しく光る部分もあり、妖しく強い色彩の魅力を放つ作品です。薄く掠れている部分から、とても強い足の圧と勢いで描かれたと考えられています。
この作品は、スターバックスの前CEOであるハワード・シュルツのオフィスに飾られていたため、白髪一雄の作品の中でも特に知名度が高い作品です。
一色でこのようにしっかりと描き切っていることに潔さを感じますね。
4-3.『作品Ⅰ』
最後にご紹介するこちらは、キャンバスではなく紙に描かれた「作品I」で、1958年に制作されています。「臙脂」よりももっと鮮やかで、新鮮な血液のような色は、こちらがどきりとするような生命感をもっていますね。
筆の跡よりも絵の具の弾け方や重なりの美しさが魅力の作品ですが、日本画を経て、紙の特性をよく理解した白髪だからこそできた表現と言えるでしょう。
内側になるにつれて深くなる赤色が、私たちを覗き込んでいるような、引き込まれるような感覚を引き起こします。
もっと白髪一雄の作品を知りたい方はこちらの記事で紹介していますので、ぜひ合わせてお読みください。
5.白髪一雄の作品を見る方法
前章では代表作について解説しましたが、なかなか画像では伝わりづらいところもあるかもしれません。
作品の大きさはもちろん、絵の具の盛り上がりや荒々しさなど、実際に鑑賞してみて、白髪一雄の凄みを体験してみたいですよね。
日本には、実際に白髪一雄の作品を見れる場所が、兵庫県尼崎市に存在します。白髪が生まれたゆかりの地にあるその施設の名前は、『白髪一雄記念室』です。
【公式サイト】https://www.archaic.or.jp/shiraga/
こちらは、尼崎市総合文化センター内に2013年11月に開設され、白髪一雄の人生であった絵を描く行為について広く紹介しています。収蔵する作品・資料は、尼崎市が所蔵する約90点に加え、遺族より寄贈・寄託された約4,000点。整理・調査を行いながら順次公開の予定です。
興味を持たれた方は、検討してみてくださいね。
日本全国各地の美術館などにコレクションされている白髪一雄ですが、画家本人が青年期を過ごした場所で作品を見れるのは貴重な体験になりそうです。
最後に『白髪一雄記念室』のマップも添付しますね!
6.まとめ
直感的かつ大胆な作風である白髪一雄。実はその中に深い精神性を秘めながら、生涯をかけて作品制作に取り組んでいたことを紹介しました。
記事で紹介した代表作品は、同じ油絵という技法で描かれていたにも関わらず、一枚一枚に真摯に白髪が対峙していたことが伝わるものでした。
また、言語を超えて世界に伝わり広く知られる画家の1人ですが、日本にも白髪一雄の作品が見られる場所『白髪一雄記念室』があることも分かりましたね。