20世紀を代表するシュルレアリスムの画家イヴ・タンギー。
今回は、独特の世界観を表現する彼の人生を解説すると共に代表作品を紹介します。
1.イヴ・タンギーとは
イヴ・タンギーは、1900年にフランス・パリで生まれました。
父親は海軍の軍人であり、タンギー本人も1920年に陸軍兵としてフランス軍に徴兵されます。
兵役中に詩人のジャック・プレヴェールと親しくなり、その交流は生涯続きました。
1923年、タンギーはバスに乗車している途中で、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品「Le Cerveau de L’enfant」を見かけます。
全く偶然の出来事でしたが、タンギーの心に大きな衝撃を与え、これまでアートを学ぶ機会がなかったにも関わらず画家を志すことを決意しました。
その後、1925年にはシュルレアリスムのグループに加わり、独自のスタイルを確立させていきます。
1939年に、第二次世界大戦の勃発によりパリに当時の妻を残したままアメリカへと移住しました。
そこで同じくシュルレアリスム画家のケイ・セージに出会い、翌年には妻と別れ再婚します。
新たな人生を歩み始めたタンギーでしたが、1955年に脳卒中で倒れその人生を閉じました。
1-1.純粋なシュルレアリスト
イヴ・タンギーは、シュルレアリスム運動の創始者として知られる著述家アンドレ・ブルトンを尊敬していました。
ブルトンが定義するシュルレアリスムは、理性や道徳といった概念から外れた無意識の中から生まれる表現を意味します。
1927年にイヴ・タンギーの個展が開催された際、ブルトンが会場を訪れ、タンギーの作品を見て「もっとも純粋なシュルレアリスト」であると評価しました。
しかし、後にタンギーの作風は無意識下で自動的に描かれるものから、構図をスケッチする作風に変化しています。
これをきっかけに、ブルトンとは不仲になり、ついに決別するまでに至りました。
1-2.優美な死骸
イヴ・タンギーが独学で絵画を学び始めた1924年頃から、タンギーが暮らした家にはシュルレアリスムの画家たちが出入りするようになります。
ここでシュルレアリスムの手法のひとつである「優美な死骸」が生まれました。
優美な死骸とは、複数の人が集まりそれぞれが別のパーツを描く手法を意味します。
この時、互いの描いたパーツを見ずに描くルールがあり、完成図は誰も予想できない点が特徴です。
イヴ・タンギーをはじめとするシュルレアリストたちは、ゲーム感覚でこの手法を楽しんでいました。
絵画だけでなく、詩の制作や名称を考える際にも活用できる手法です。
2.イヴ・タンギーの代表作品
イヴ・タンギーは多くの独特な作品を残しています。
その中から3点を紹介します。
2-1.眠りの速度
まさしくシュルレアリスムの作風に沿って描かれた作品です。
イヴ・タンギーは、自分の手がキャンパスの上を動くのに任せて制作したといいます。
ねんど細工のような得体の知れない物体が、人気のない不気味な世界に並び、鑑賞者を不思議な世界へと誘います。
2-2.無限の分裂
1942年に描かれたイヴ・タンギーの作品です。
遥か彼方まで続くような砂浜に、金属にもプラスチックにも見える謎の物体がランダムに配置されています。
右側に描かれた物体は、クランプを活用して作った人物のように見えますが、安定性が感じられません。
今にも転倒してしまいそうな造形は、当時のタンギーの不安定な心を反映しているのではないでしょうか。
2-3.Mama, Papa is Wounded!
イヴ・タンギーがシュルレアリスムのグループに加わった当初に描かれた作品が、「Mama, Papa is Wounded!」です。
タンギーの画家人生においても初期の作品であり、植物や動物を配置する様は、同じくシュルレアリストだったスペインの画家ジョアン・ミロの作風にも似ています。
3.まとめ
今回は、フランスで活躍したシュルレアリスムの画家イヴ・タンギーの人生や代表作品を解説しました。
独学でありながら、シュルレアリスムの創始者であるアンドレ・ブルトンをも唸らせる作家となったタンギー。
その作品の素晴らしさは言わずとも伝わるでしょう。
現代でもタンギーの作品に魅せられている人が多数います。
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