「近代絵画の父」と呼ばれ、19世紀のヨーロッパにて最も物議を醸した画家マネ。
絵画の伝統に風穴を空け、美術史に大きな影響を与えた人物です。
今回は、マネにスポットを当て、彼の人生や代表的な絵画を紹介します。
1.マネとは
マネは、1832年にフランス・パリで生まれました。
母は王家の血を引いており、父は名高い法学者だったことから、非常に裕福な家庭環境でした。
両親は、法律に関連する仕事をすることを望んでいましたが、あしげくルーブル美術館に連れて行ってくれた叔父のすすめもあり13歳よりデッサンを学ぶようになります。
そして、同じく19世紀の歴史画家として著名なトマ・クチュールに師事し、本格的に絵の勉強をはじめました。
その後、数年間かけてヨーロッパ各地を旅したことで、様々な影響を受け帰国後にはアトリエを構えます。
初期の作品は、マネ自身により破棄されており残っていません。
1-1.マネが浴びたバッシング
マネといえば、度重なるバッシングを受けた画家としても有名です。
そのひとつが、1863年にサロンに出品した「草上の昼食」でした。
残念ながら賞には入らなかった作品ですが、運よく落選展が開催されたことから、多くの人の目に入るようになりました。
しかし、裸婦をモチーフに描かれていることを理由に、世間からのバッシングを受けます。
その騒ぎが収まりかけた頃、再び裸婦をモチーフにした作品「オランピア」を発表しました。
実在する裸婦が描かれた同作は、「草上の昼食」を超えるバッシングを浴びます。
とはいえ、当時のサロンを主流とした風潮に風を通したことから、以降の画家たちに大きな影響を与えました。
1-2.パリのカリスマ的存在
前代未聞の物議を醸す作品を発表したため、世間から大注目を集めたマネは、パリのカリスマ的存在としても知られていました。
裕福な家庭で生まれ育ち、パリの都会で暮らしていたこともあり、おしゃれな生活とカフェ文化を好んでいたことがカリスマとして賞賛される理由のひとつです。
また、人付き合いも良好で、当時のパリでは革新的だった印象派の画家とも交流がありました。
新進気鋭の画家たちは、スキャンダルを巻き起こすマネの斬新な方向性に感化され、毎晩のようにマネと美術論を交わしたといいます。
こうした背景から、マネに傾倒していた画家を「マネの一派」と呼んでいたそうです。
2.マネの代表的な絵画
マネは、51年間の人生において多くの作品を残しています。
誰もが目にしたことがある著名な作品も多く、現代でもファンがいる画家の一人です。
続いては、マネの代表的な絵画を6つ紹介します。
2-1.草上の昼食
前章でも触れたように、世間からの大バッシングを浴びた作品のひとつが「草上の朝食」です。
二人の男性とピクニックを楽しむ裸婦が描かれています。
一見すると和やかで牧歌的に感じられる作品ですが、男性は服を着ており、不自然に描かれた裸の女性は猥褻な作品であるとして物議を醸しました。
当時の絵画に描かれる女性は神格化されており、現実にいる女性の裸を描いたことが原因でした。
しかも、女性の側には脱ぎ捨てられたドレスがおいてあり、娼婦であることを象徴する絵でもあります。
2-2.オランピア
「草上の朝食」に続いて、さらなるバッシングを浴びた作品が「オランピア」です。
裸婦をメインに描いた作品で、こちらも「草上の朝食」と同様に現実の女性だったためサロン界隈から激しい反感を買いました。
また、鑑賞者をまっすぐに見る目も下劣であるといわれ、非難されたそうです。
しかし、「オランピア」は、ヴェネツィア派で最も偉大な画家とされるティツィアーノの作品「ウルビーノのヴィーナス」にインスパイアされ描いた作品でした。
構図をまねて描かれており、巨匠に対するリスペクトが表されています。
2-3.アブサンを飲む男
マネが、19世紀フランスの絵画を揺るがした理由は、裸婦を描いたことだけではありません。
「アブサンを飲む男」も、当時のセオリーを覆した作品のひとつです。
当時のヨーロッパでは、貴族や王族といった高貴な人物をモデルにした人物画が主流でした。
しかし、「アブサンを飲む男」のモチーフとなったのは、アルコール中毒の浮浪者です。
師匠であるトマ・クチュールは「道徳心がない」と批判しましたが、その意見に反発したマネは、サロンに作品を出品しています。
当然、審査員から評価されることはありませんでした。
一方で、マネを信頼し尊敬していた若い画家は、生命力に満ちる人間の様子に心を打たれたといいます。
2-4.笛を吹く少年
マネが1866年に描いた作品です。
近衛軍鼓笛隊員がモデルとなった作品ですが、顔はマネの息子レオンがモデルになっているという説もあります。
まだあどけなさが残る顔には緊張感が垣間見られ、生き生きとした表情が印象的です。
この作品には、欧米に広まった日本文化が影響しているといわれています。
開国まもない日本の文化は当時の欧米人には珍しく、一大ブームとなっていました。
「笛を吹く少年」も、日本の浮世絵を感じさせる平面的な描写が採用され、少年の輪郭が力強く描かれている点も日本ならではといえる特徴です。
2-5.フォリー・ベルジェールのバー
マネの晩年に描かれた大作として知られるのが「フォリー・ベルジェールのバー」です。
中央に描かれた女性が印象的な作品ですが、よく見ると背後は鏡となっており、多くの人々が映っています。
これは、当時のパリに実在した「カフェ・コンセール」とそこで働く娼婦を描いた作品です。
この絵が傑作と評価される理由のひとつとして、鑑賞者をバーの中へと引きこむ不思議な構図が挙げられます。
女性と会話をする男性の位置が不自然に描かれており、より女性に目がいく構図となっていることがわかるでしょう。
また、背景に描かれた鏡の中の人物たちは、粗いタッチで描かれています。
それと対比するように鏡の前の女性や酒瓶、フルーツなどは繊細です。
こうした工夫も、モデルとなっている女性に集中する仕掛けといえるでしょう。
2-6.バルコニー
マネが36歳の頃、ドーバー海峡の近くにあるブーローニュ=メールに滞在し、散策中に街で見かけた人々からインスピレーションを受けて描いた作品といわれています。
モデルとなったのは、画家のベルト・モリゾ、ヴァイオリニストのファニー・クラウス、そして友人である風景画家のアントワーヌ・ギユメです。
よく見ると、彼らの他にも人物が描かれています。
奥にうっすらと見えるのが、マネの妻シュザンヌの息子レオン・コエラです。
この作品は、マネの十八番でもある白と黒そして緑の3色で描かれています。
平面的な画風でありながら、明暗があることでメリハリが感じられるマネならではといえr作品です。
3.マネの絵画に違和感を感じる所以
数々の物議を醸し、当時の若い画家たち多大なる影響を与えたマネの作品は、現代の私たちから見ても違和感を感じるところがあります。
例えば、マネが1868年に描いた「アトリエの昼食」には、3名の人物が描かれていますが、その誰もが視線を交わしていません。
また、どこか冷たさを感じる人物であり、見るものに違和感を感じさせているといいます。
そのほかの作品も、マネならではの仕掛けが施されているのが特徴です。
だからこそ鑑賞者を惹きつける工夫なのかもしれません。
4.まとめ
今回は、19世紀のヨーロッパを代表する画家マネを紹介しました。
多くの若い画家たちに刺激を与え、構成の美術界を大きく変えたといわれるマネ。
それぞれの作品からも、マネの伝統に捉われない斬新なエネルギーを感じることができます。